親が認知症になり、預金の引き出しや不動産の管理ができなくなった。このような状況に直面する家族が増えています。認知症により判断能力が低下すると、本人による財産管理が困難になり、必要な医療費や生活費の支払いにも支障が生じます。
対策として成年後見制度と家族信託という2つの選択肢がありますが、それぞれにメリット・デメリットがあり、どちらを選ぶべきか悩む方が多いのが現状です。本記事では、両制度の仕組みと特徴を比較し、費用や手続きの違い、具体的な活用事例を交えながら、あなたの家族に最適な選択ができるよう詳しく解説します。相続対策全般については、相続の基本から手続きまで完全ガイドも併せてご覧ください。
目次
1. 認知症による財産管理の問題と早期対策の重要性
「母の物忘れがひどくなってきた」「父が同じものを何度も買ってくる」このような変化に気づいたとき、多くの家族は戸惑います。認知症による判断能力の低下は、単なる物忘れにとどまらず、財産管理全般に深刻な影響を及ぼします。ここでは、具体的にどのような問題が生じるのか、そしてなぜ早期対策が重要なのかを解説します。
1-1. 認知症で生じる具体的な財産管理の困難
認知症が進行すると、日常的な金銭管理から複雑な契約行為まで、あらゆる財産管理が困難になります。
金融機関での問題
- 預金口座の凍結リスク:銀行が認知症を把握すると、本人保護のため口座を凍結することがある
- ATMでの引き出し制限:暗証番号を忘れる、操作方法がわからなくなる
- 定期預金の解約不可:判断能力がないと見なされ、解約手続きを拒否される
- 振込・送金の困難:複雑な手続きができず、公共料金の支払いも滞る
不動産に関する問題
- 売却・賃貸契約の締結不可:法律行為として判断能力が必要
- 修繕・リフォームの契約困難:高額な契約は特に慎重な対応が必要
- 固定資産税の支払い漏れ:納税通知書の理解困難
その他の財産管理問題
- 株式・投資信託の処分困難:相場判断ができず、売却時期を逸する
- 生命保険の失効リスク:保険料の支払い忘れ
- 相続対策の実行不可:遺言書作成や生前贈与ができない
1-2. 認知症の進行段階と対策のタイミング
認知症は進行性の病気であり、段階によって取れる対策が異なります。早期の対応が選択肢を広げる鍵となります。
認知症の進行段階と対策可能性
段階 | 症状 | 家族信託 | 成年後見 |
---|---|---|---|
健常 | 物忘れなし | ◎可能 | 不要 |
MCI(軽度認知障害) | 軽い物忘れ、日常生活は自立 | ○可能 | 不要 |
軽度認知症 | 記憶障害あり、複雑な作業困難 | △要検討 | ○可能 |
中等度認知症 | 日常生活に支援必要 | ×困難 | ◎必要 |
重度認知症 | 全面的な介護必要 | ×不可 | ◎必要 |
認知症診断から平均3~5年で財産管理能力を喪失するといわれています。MCI(軽度認知障害)の段階であれば、まだ契約能力があるため家族信託の設定が可能です。しかし、中等度以降になると、もはや成年後見制度しか選択肢がなくなります。
1-3. 対策を取らない場合のリスクと家族への影響
適切な対策を取らないまま認知症が進行すると、本人だけでなく家族全体に大きな負担がかかります。
財産の塩漬け状態
- 預金が引き出せず、介護費用の支払いに困窮
- 空き家となった実家が売却できず、固定資産税だけが発生
- 株式等の金融資産が暴落しても処分できない
家族の経済的負担
- 介護費用の立替が長期化し、家計を圧迫
- 相続時に立替金の精算でトラブルに
- 本人の財産があるのに使えないジレンマ
法的リスク
- 家族が勝手に預金を引き出せば、他の相続人から「使い込み」を疑われる
- 本人名義での契約は後日無効となる可能性
- 成年後見人が選任された場合、過去の財産管理を問題視されることも
詐欺被害のリスク
- 判断能力の低下に付け込んだ悪質商法の標的に
- 高額商品の購入、不要なリフォーム契約
- 詐欺被害の回復も困難
これらのリスクを回避するためにも、認知症の兆候に気づいたら、すぐに対策を検討することが重要です。
2. 成年後見制度の仕組みとメリット・デメリット
成年後見制度は、判断能力が不十分な方を法的に保護する公的な制度です。多くの方が名前は聞いたことがあっても、具体的な仕組みやメリット・デメリットまでは理解していないのが現状です。ここでは、制度の詳細を分かりやすく解説します。
2-1. 成年後見制度の基本的な仕組みと種類
成年後見制度には、大きく分けて「法定後見」と「任意後見」の2種類があります。認知症の親の財産管理で主に利用されるのは法定後見制度です。
法定後見制度の3類型
1. 後見(判断能力が欠けている状態)
- 日常的な買い物も一人では困難
- 後見人に広範な代理権・取消権
- 最も利用件数が多い類型
2. 保佐(判断能力が著しく不十分)
- 日常的な買い物はできるが、重要な契約は困難
- 特定の行為に保佐人の同意が必要
- 必要に応じて代理権も付与可能
3. 補助(判断能力が不十分)
- 重要な契約に不安がある程度
- 本人の同意を得て、特定の行為に補助人の同意権・代理権
成年後見人の選任と職務
- 家庭裁判所が本人の状況を考慮して後見人を選任
- 親族後見人は全体の約20%、残りは司法書士・弁護士等の専門職
- 財産管理(預貯金管理、不動産管理、収支管理)と身上監護(医療・介護契約、施設入所手続き)を担当
- 年1回以上、裁判所に財産状況や収支を報告
なお、任意後見制度の詳しい仕組みと活用方法については、別記事で詳しく解説しています。
2-2. 成年後見制度のメリットと活用場面
成年後見制度には、公的制度ならではの強力なメリットがあります。
主なメリット
1. 確実な財産保護
- 裁判所の監督下で財産管理
- 後見人の横領は刑事罰の対象
- 後見制度支援信託により大口預金を保護
2. 強い法的効力
- すべての金融機関で通用
- 不動産取引も問題なく可能
- 訴訟行為の代理も可能
3. 判断能力低下後も利用可能
- 既に認知症が進行していても申立て可能
- 医師の診断書があれば手続き開始
- 緊急性が高い場合は審判前の保全処分も
4. 身上監護面の充実
- 医療同意(一定の制限あり)
- 施設入所契約の締結
- 介護サービスの手配
効果的な活用場面
- 認知症により詐欺被害に遭っている
- 家族間で財産管理を巡る対立がある
- 身寄りがない、または家族が遠方
- 複雑な財産構成で専門的管理が必要
2-3. デメリットと利用上の注意点
一方で、成年後見制度には看過できないデメリットも存在します。
2-3. デメリットと利用上の注意点
一方で、成年後見制度には看過できないデメリットも存在します。
主なデメリット
1. 継続的な費用負担
- 専門職後見人の報酬:月額2~6万円
- 本人が亡くなるまで継続(10年で240~720万円)
- 財産額や管理の複雑さにより報酬額が決定
2. 後見人選任の不確実性
- 家族が候補者になっても選任される保証なし
- 見知らぬ専門職が選任される可能性
- 後見人の変更は容易ではない
3. 財産管理の硬直性
- 本人の利益保護が最優先
- 積極的な資産運用は困難
- 相続税対策(生前贈与等)は原則不可
- 家族への援助も制限的
4. 一度開始すると終了困難
- 本人の判断能力が回復しない限り継続
- 後見人の解任は正当事由が必要
- 家族の都合では終了できない
5. 手続きの煩雑さ
- 年次報告書の作成義務
- 重要な行為は裁判所の許可が必要
- 領収書等の保管・整理が必須
これらのデメリットを踏まえ、本当に成年後見制度が必要か、他の選択肢はないか、慎重に検討することが重要です。
3. 家族信託の仕組みとメリット・デメリット
家族信託は、認知症対策として注目される比較的新しい財産管理手法です。成年後見制度の硬直性を補う柔軟な制度として、利用者が増加しています。家族信託の基本的な仕組みと活用法でも詳しく解説していますが、ここでは成年後見制度との比較を意識しながら説明します。
3-1. 家族信託の基本構造と契約の仕組み
家族信託は、信託法に基づく契約により、家族間で財産管理を行う仕組みです。
基本的な登場人物
- 委託者:財産を託す人(認知症になる前の親)
- 受託者:財産を管理する人(信頼できる子供など)
- 受益者:信託の利益を受ける人(通常は委託者=受益者)
信託の仕組み
- 親(委託者)が子(受託者)に財産の名義を移転
- 子は信託契約に従って財産を管理・運用
- 利益(家賃収入、生活費等)は親(受益者)が受け取る
- 親が認知症になっても、子の権限で管理継続可能
信託できる財産
- 不動産(自宅、賃貸物件、土地)
- 預貯金(信託口口座で管理)
- 有価証券(上場株式、投資信託)
- その他(動産、知的財産権など)
信託できない財産
- 年金受給権
- 農地(農地法の制限)
- 借入金などの債務
契約方法
- 公正証書での作成が一般的(公証人手数料:数万円~)
- 信託口口座の開設(対応銀行が限定的)
- 不動産は信託登記が必要(登録免許税:固定資産税評価額の0.4%)
3-2. 家族信託のメリットと効果的な活用法
家族信託の最大の魅力は、その柔軟性にあります。
主なメリット
1. 柔軟な財産管理
- 受託者の判断で機動的な運用が可能
- 不動産の売却、建替え、大規模修繕も可能
- 収益物件の積極的な運営
- 必要に応じた資金の活用
2. コスト面の優位性
- ランニングコストなし(家族間で完結)
- 初期費用のみで長期的には経済的
- 信託監督人を置く場合でも低コスト
3. 相続対策との両立
- 相続発生時の承継者を指定可能(遺言機能)
- 二次相続、三次相続まで指定可能
- 相続税対策も継続可能
4. 家族の意向を反映
- 本人の生活スタイルを維持
- 家族の事情に応じた柔軟な対応
- 孫の教育資金援助なども可能
効果的な活用例
- 賃貸物件の管理・運営を子に任せる
- 将来の施設入所に備えて自宅売却の権限を与える
- 事業用不動産の円滑な承継
- 障害のある子の生活保障
3-3. デメリットと導入時の留意点
家族信託にも、理解しておくべきデメリットがあります。
主なデメリット
1. 導入時期の制限
- 本人に判断能力がある間しか設定不可
- 認知症診断後は公証人が契約を拒否する可能性
- タイミングを逸すると利用できない
2. 初期費用の高さ
- コンサルティング費用:30~70万円
- 公証人手数料:3~10万円
- 登録免許税:不動産価格の0.4%
- 総額50~100万円程度は必要
3. 限定的な機能
- 身上監護権限はない(医療同意不可)
- 信託できない財産がある
- 税務申告が複雑(信託計算書の作成)
4. 受託者のリスク
- 受託者の権限濫用リスク
- 他の相続人からの不信感
- 受託者の事故・病気への対応
5. 専門家の不足
- 対応できる専門家が限られる
- 地域により利用困難
- 不適切な信託設計のリスク
これらのデメリットを理解した上で、家族の状況に応じた適切な設計が重要です。
4. 成年後見制度と家族信託の比較と選択基準
両制度の特徴を理解したところで、実際にどちらを選ぶべきか、具体的な判断基準を示します。
4-1. 費用面での比較:初期費用とランニングコスト
費用は重要な判断要素の一つです。長期的な視点で比較検討する必要があります。
費用比較表
項目 | 成年後見制度 | 家族信託 |
---|---|---|
初期費用 | 10~20万円 | 50~100万円 |
月額費用 | 2~6万円 | 0円 |
5年間総額 | 130~380万円 | 50~100万円 |
10年間総額 | 250~740万円 | 50~100万円 |
費用シミュレーション(財産額5,000万円の場合)
成年後見制度
- 申立費用:15万円
- 月額報酬:3万円
- 10年間総額:375万円
家族信託
- 設計・作成費用:60万円
- 登録免許税等:10万円
- 10年間総額:70万円
差額:305万円(家族信託が有利)
ただし、財産額が少ない場合や、短期間で終了する見込みの場合は、成年後見制度の方が経済的な場合もあります。
4-2. 本人の状態による選択:判断能力の程度が決め手
最も重要な判断基準は、本人の現在の判断能力です。
判断能力による選択フローチャート
判断能力の確認方法
- かかりつけ医の意見聴取
- 認知症専門医での検査(長谷川式スケール等)
- 公証人との事前相談
両制度の併用
財産管理は家族信託、身上監護は成年後見制度という使い分けも可能です。ただし、費用負担が大きくなるため、慎重な検討が必要です。
4-3. 家族構成と財産内容による最適な選択
家族関係や財産の種類・規模も重要な判断要素です。
家族構成による判断
家族構成 | 推奨制度 | 理由 |
---|---|---|
信頼できる子がいる | 家族信託 | 受託者として適任 |
子供間で対立 | 成年後見 | 中立的な第三者が必要 |
単身者・子なし | 成年後見 | 受託者の確保困難 |
遠方居住の子のみ | 成年後見 | 日常的な管理困難 |
財産内容による判断
財産構成 | 推奨制度 | 理由 |
---|---|---|
自宅+預貯金のみ | 成年後見 | シンプルな管理で十分 |
賃貸不動産あり | 家族信託 | 積極的管理が必要 |
事業用資産あり | 家族信託 | 事業継続に柔軟性必要 |
金融資産中心 | どちらでも可 | 管理方針により選択 |
その他の考慮事項
- 相続税対策の必要性(必要なら家族信託)
- 将来の生活設計(施設入所予定等)
- 地域の専門家の充実度
- 家族の理解と協力
5. 実際の活用事例と手続きの流れ
理論的な説明だけでなく、実際の事例を通じて、両制度の活用イメージを具体的に理解していただきます。
5-1. 事例1:家族信託で実家の売却に成功したケース
背景
- 母親(82歳):軽度認知症と診断、一人暮らし
- 長男(55歳):会社員、車で1時間の距離に居住
- 次男(52歳):海外赴任中
- 財産:実家(評価額3,000万円)、預貯金1,000万円
経緯と対応
母親が軽度認知症と診断され、一人暮らしが心配になった長男。介護付き有料老人ホームへの入居を検討したが、入居一時金2,000万円が必要。預貯金では足りず、実家の売却を考えたが、将来認知症が進行したら売却できなくなることを知り、家族信託を検討。
信託設計
- 委託者兼受益者:母親
- 受託者:長男
- 信託財産:実家、預貯金500万円
- 信託目的:母親の生活・介護費用の確保
結果
信託設定の1年後、母親の認知症が進行し、施設入所を決定。長男は受託者の権限で実家を3,200万円で売却。売却代金で入居一時金を支払い、残金は信託口口座で管理。月額利用料も信託財産から支出し、母親は安心して施設生活を送っている。
ポイント
- 早期の対策により選択肢を確保
- 認知症進行後も計画通り実行可能
- 家族の負担なく母親の生活を支援
5-2. 事例2:成年後見制度で財産を守ったケース
背景
- 父親(85歳):中等度認知症、独居
- 長女(58歳):パート勤務、同じ市内に居住
- 次女(55歳):専業主婦、隣県に居住
- 財産:預貯金3,000万円、自宅(評価額1,500万円)
問題の発覚
長女が父親の家を訪問したところ、高額な羽毛布団や健康器具が大量に。通帳を確認すると、3か月で500万円も減少。訪問販売や電話勧誘で次々と不要な商品を購入していたことが判明。
成年後見申立て
- 申立人:長女
- 後見人候補者:長女
- 診断書:認知症により判断能力を欠く状態
結果
家庭裁判所は、財産額が多いことから司法書士を後見人に選任。後見人は直ちに以下の対応を実施:
- クーリングオフ可能な契約の解除
- 訪問販売お断りステッカーの設置
- 月15万円の生活費を定期的に交付
- 残りの預金は後見制度支援信託へ
その後、詐欺被害は完全になくなり、父親の財産は保全された。後見人報酬は月3万円だが、被害防止効果を考えれば家族も納得。
ポイント
- 既に判断能力が低下していても対応可能
- 専門職後見人による確実な財産保護
- 定期的な生活費支給で生活も安定
5-3. 手続き開始から完了までの具体的な流れ
家族信託の手続きフロー(約2~3か月)
1. 初回相談(1~2週間)
- 司法書士・弁護士への相談
- 家族構成、財産内容の確認
- 信託スキームの提案
2. 信託内容の設計(2~3週間)
- 信託目的の明確化
- 信託財産の選定
- 受託者・受益者の決定
3. 契約書案作成(2週間)
- 信託契約書案の作成
- 家族での内容確認
- 修正・調整
4. 公正証書作成(1週間)
- 公証役場での打合せ
- 必要書類の準備
- 公正証書作成日の調整
5. 実行手続き(2~4週間)
- 信託口口座の開設
- 不動産の信託登記
- 金銭の信託口座への移動
成年後見申立ての手続きフロー(約1~2か月)
1. 事前準備(1~2週間)
- 診断書の取得
- 申立書類の収集
- 候補者の検討
2. 申立て(1日)
- 家庭裁判所への申立て
- 申立費用の納付
- 面接日の調整
3. 調査・面接(2~3週間)
- 家庭裁判所調査官の調査
- 本人面接(可能な場合)
- 候補者面接
4. 審判(2~4週間)
- 裁判官による審理
- 成年後見人の選任
- 審判書の送達
5. 後見開始(1週間)
- 財産目録の作成
- 後見登記
- 金融機関への届出
いずれの手続きも、専門家のサポートを受けることで、スムーズかつ確実に進めることができます。
6. まとめ:早期の対策で親も家族も安心できる財産管理を
認知症の親の財産管理には、成年後見制度と家族信託という2つの選択肢があります。成年後見制度は、既に判断能力が低下している場合でも利用でき、裁判所の監督下で確実な保護が可能ですが、ランニングコストが高く、財産の積極的活用は困難です。一方、家族信託は初期費用は高いものの、柔軟な財産管理が可能で、相続対策にも活用できます。ただし、本人に判断能力がある間しか設定できません。
選択の決め手となる要素
認知症は進行性の病気であり、早期の対策が何より重要です。MCI(軽度認知障害)の段階なら選択肢も広がります。
どちらの制度を選ぶにせよ、専門家への早期相談が成功の鍵となります。司法書士、弁護士、税理士などの専門家と連携し、家族にとって最適な方法を選択してください。親の尊厳を守りながら、家族の負担も軽減する。そんな財産管理の実現を目指しましょう。