経営者である親が亡くなり、会社の株式や事業用資産を相続する。この状況は単なる財産の相続ではなく、会社の存続と従業員の生活がかかった重大な局面です。会社の経営権を維持しながら多額の相続税を払えるか、事業承継税制が使えるか、後継者として適格なのか。多くの不安が押し寄せます。
経営者の相続では、個人財産と会社財産が密接に関わり、通常の相続とは異なる対策が必要です。本記事では、自社株式の評価方法から事業承継税制の活用、経営権の維持方法、具体的な相続税対策まで、経営者の相続特有の課題と解決策を詳しく解説します。適切な準備により、円滑な事業承継と相続税負担の軽減を両立できます。相続の基本については、相続手続きの完全ガイドもご参照ください。
経営者の相続が直面する特有の課題
「父が創業した会社を継ぐことになったが、相続税が払えるか心配」「株式が分散したら経営に支障が出るのではないか」このような不安を抱える後継者は少なくありません。経営者の相続は、一般的な相続とは異なる複雑な問題を抱えています。
自社株式の高額評価による相続税負担
多くの中小企業経営者にとって最大の驚きは、自社株式の評価額の高さです。「うちは小さな会社だから」と思っていても、実際に評価してみると予想外の金額になることがよくあります。
なぜ自社株式は高額評価されるのか:
- 長年の利益蓄積により純資産が増加
- 土地・建物の含み益
- 優良企業ほど評価額が高くなる仕組み
実際の評価額の例:
- 年商10億円の製造業A社
- 純資産:5億円
- 年間利益:5,000万円
- 株式評価額:約8億円
- 年商5億円の卸売業B社
- 純資産:2億円
- 年間利益:2,000万円
- 株式評価額:約3億円
相続税負担の現実:
株式評価額8億円の場合、相続人が配偶者と子1人なら:
- 相続税額:約2億円(配偶者の税額軽減適用後)
- 納税資金:現預金がなければ調達困難
このような状況では、最悪の場合:
- 会社売却による納税資金確保
- 物納(株式での納税)による経営権喪失
- 廃業という選択
経営権の分散リスクと事業継続への影響
法定相続分により株式が分散すると、経営に深刻な影響が出ます。
株式分散による問題:
議決権の分散:
- 普通決議(過半数):取締役選任、配当決定など
- 特別決議(2/3以上):定款変更、増資、合併など
- 特殊決議(3/4以上):相続人に対する売渡請求
具体的なケース:
創業者の持株比率100%、相続人は配偶者と子3人
- 法定相続分:配偶者50%、子各16.7%
- 結果:誰も単独で普通決議を通せない
経営への影響:
- 意思決定の遅延・停滞
- 相続人間の対立による経営方針の不一致
- 取引先・金融機関からの信用低下
- 従業員の不安・離職リスク
個人保証・担保提供の承継問題
見落としがちですが、深刻な問題が個人保証の承継です。
中小企業の借入実態:
- 約8割の中小企業で経営者の個人保証あり
- 自宅を担保提供しているケースも多い
- 保証額は数千万円から数億円
相続による影響:
1. 保証債務も相続対象
- 法定相続分に応じて承継
- 経営に関与しない相続人もリスクを負う
2. 金融機関の対応
- 新経営者の保証を要求
- 既存保証の解除は困難
- 追加保証を求められることも
対策の方向性:
- 経営者保証ガイドラインの活用
- 事業承継時の保証債務の整理
- 信用保証協会の事業承継保証制度
- 計画的な借入金の圧縮
自社株式の評価方法と評価引下げ対策
自社株式の評価額を正確に把握し、適切な引下げ対策を講じることが、円滑な事業承継の第一歩です。非上場会社の自社株評価と相続対策について詳しく解説していますが、ここでは実務的なポイントを中心に説明します。
非上場株式の3つの評価方式の使い分け
非上場株式の評価は複雑ですが、基本的な仕組みを理解することが重要です。
会社規模による評価方式の区分:
会社規模 | 従業員数 | 総資産額・売上高 | 評価方式 |
---|---|---|---|
大会社 | 70人以上 | 業種により異なる | 類似業種比準価額方式 |
中会社 | 70人未満 | 業種により異なる | 併用方式 |
小会社 | 50人未満 | 業種により異なる | 純資産価額方式 |
各評価方式の特徴:
1. 類似業種比準価額方式
- 上場している類似業種の株価を基準
- 配当、利益、純資産の3要素で比較
- 一般的に評価額は低くなる傾向
2. 純資産価額方式
- 会社の純資産を時価評価
- 含み益がある場合は高額に
- 土地・建物が多い会社は要注意
3. 配当還元方式
- 年間配当額を基準に計算
- 少数株主(同族株主以外)に適用
- 大幅に評価額が下がる
評価額の計算例:
中会社の場合(併用方式)
- 類似業種比準価額:1株5,000円
- 純資産価額:1株10,000円
- 評価額:5,000円×0.6+10,000円×0.4=7,000円
計画的な株価引下げの具体的手法
株価引下げは一朝一夕にはできません。3~5年かけて計画的に実施することが重要です。
主な株価引下げ手法:
1. 利益の圧縮
- 役員退職金の支給
- 功績倍率法による適正額の算定
- 分割支給による複数年での損金算入
- 例:最終報酬月額100万円×勤続30年×功績倍率3.0=9,000万円
- 不良資産の処理
- 不良債権の貸倒処理
- 遊休資産の除却・売却
- 含み損の実現
2. 純資産の圧縮
- 配当の実施
- 特別配当による純資産の社外流出
- ただし、総合的な税負担を考慮
- 自己株式の取得
- 純資産と発行済株式数の同時減少
- 議決権比率の調整も可能
3. 類似業種比準価額の引下げ
- 配当、利益、純資産の3要素を計画的に調整
- 特に利益は3年間の平均値が使われるため、早期着手が必要
実際の引下げ事例:
製造業C社(当初評価額10億円)の3年計画
- 1年目:役員退職金3億円支給 → 評価額7億円
- 2年目:不良債権処理2億円 → 評価額5億円
- 3年目:特別配当1億円実施 → 評価額4億円
- 結果:60%の評価減を実現
株価引下げの注意点:
- 過度な引下げは税務否認リスク
- 事業への影響を考慮
- 専門家と相談しながら実施
持株会社や種類株式を活用した対策
より高度な対策として、会社の仕組み自体を変える方法もあります。
持株会社スキームの活用:
【変更前】 経営者 → 事業会社(100%) 【変更後】 経営者 → 持株会社 → 事業会社 (100%) (100%)
メリット:
- 相続財産が持株会社株式に集約
- 配当による資金還流が可能
- グループ再編が容易
デメリット:
- 設立・運営コスト
- 税制上の制約
種類株式の活用例:
1. 無議決権配当優先株式
- 後継者:普通株式(議決権あり)
- 他の相続人:優先株式(議決権なし、配当優先)
2. 拒否権付株式(黄金株)
- 重要事項の決定に拒否権
- 経営権の確保に有効
導入事例:
建設業D社では、後継長男に普通株式70%、他の相続人に無議決権優先株式30%を割当て。経営権は長男に集中しつつ、配当により他の相続人の不満も解消。
これらの手法は専門的知識が必要なため、税理士・弁護士と連携して進めることが重要です。
事業承継税制の活用条件と手続き
事業承継税制は、後継者の相続税負担を大幅に軽減できる強力な制度です。特に2018年から始まった特例措置は、要件が大幅に緩和され、使いやすくなっています。
特例措置の概要と適用要件
事業承継税制の特例措置により、自社株式にかかる相続税の納税が猶予され、最終的には免除される可能性があります。
特例措置の概要:
- 対象株式:発行済議決権株式の全て(上限なし)
- 猶予割合:100%(相続税の全額)
- 適用期限:2027年12月31日までの相続
一般措置との比較:
項目 | 特例措置 | 一般措置 |
---|---|---|
対象株式 | 全株式 | 2/3まで |
猶予割合 | 100% | 80% |
雇用要件 | 弾力化 | 8割維持 |
適用期限 | 2027年12月まで | 期限なし |
主な適用要件:
特例措置では、5年平均で8割の雇用維持ができなくても、理由書を提出すれば猶予継続が可能になりました。
特例承継計画の作成と認定申請
特例措置を受けるには、事前に「特例承継計画」の提出が必要です。
特例承継計画の作成手順:
1. 認定経営革新等支援機関の選定
- 税理士、公認会計士、商工会議所など
- 指導・助言を受けながら作成
2. 計画の記載内容
- 会社の概要(事業内容、従業員数、財務状況)
- 先代経営者・後継者の情報
- 承継時期・承継方法
- 承継後5年間の事業計画
- 経営の改善・発展のための取組
3. 都道府県への提出
- 主たる事務所の所在地の都道府県
- 2024年3月31日までに提出(1年延長)
計画作成のポイント:
- 現実的な事業計画を作成
- 数値目標は達成可能な範囲で設定
- 経営革新の取組を具体的に記載
認定申請の流れ:
- 相続開始
- 8か月以内に認定申請
- 都道府県知事の認定
- 相続税申告時に猶予申請
必要書類チェックリスト:
- 認定申請書
- 特例承継計画の写し
- 定款、登記事項証明書
- 決算書類
- 株主名簿
納税猶予取消しリスクと継続要件
納税猶予を受けた後も、継続要件を満たし続ける必要があります。
主な取消事由:
1. 後継者に関する事由
- 代表者でなくなった場合
- 議決権の50%以下になった場合
- 株式を譲渡した場合
2. 会社に関する事由
- 解散、合併、株式交換
- 資産管理会社になった場合
- 年次報告書の未提出
5年間の事業継続期間:
- 毎年、都道府県と税務署に報告書提出
- 代表者として経営に従事
- 株式の継続保有
5年経過後の要件緩和:
- 3年に1回の報告でOK
- 役員として残れば代表者退任も可能
納税猶予の免除:
1. 後継者の死亡
- 猶予税額が免除
2. 次の後継者への承継
- 次世代への猶予の引継ぎ可能
3. 会社の倒産・解散
- 一定の要件で免除
- 継続要件を常に意識した経営
- 専門家による定期的なチェック
- 次世代への承継も視野に入れた計画
生前贈与とM&Aを活用した事業承継対策も参考に、総合的な承継戦略を立てることが重要です。
経営権維持のための株式承継戦略
相続税対策と同様に重要なのが、経営権の維持です。いくら節税できても、経営権が不安定では事業承継の意味がありません。
遺言・遺留分対策による株式集中
後継者への株式集中には遺言が有効ですが、遺留分への配慮が不可欠です。
遺言による株式承継の設計:
基本的な遺言の内容:
第1条 長男○○に、△△株式会社の株式全てを相続させる。 第2条 妻○○に、自宅不動産及び預貯金○○万円を相続させる。 第3条 次男○○に、預貯金○○万円を相続させる。
遺留分対策の重要性:
- 遺留分:法定相続分の1/2(配偶者・子の場合)
- 自社株式が財産の大部分を占める場合、遺留分侵害のリスク
具体的な対策:
1. 遺留分放棄の活用
- 家庭裁判所の許可が必要
- 相当の対価が必要
- 生前に手続き完了
2. 生前贈与による早期移転
- 暦年贈与の活用(年110万円)
- 相続時精算課税制度(2,500万円)
- 事業承継税制の贈与税猶予
3. 遺留分に相当する財産の準備
- 生命保険金の活用
- 退職金での代償
- 不動産の準備
4. 民法特例の活用
- 除外合意:自社株式を遺留分算定から除外
- 固定合意:自社株式の評価額を固定
- 経済産業大臣の確認と家裁の許可が必要
実際の活用例:
製造業E社(株式評価額5億円)では、民法特例の除外合意により、自社株式を遺留分算定から除外。後継者の長男が全株式を取得し、他の相続人には預貯金と生命保険金で対応。
議決権制限株式や黄金株の活用
種類株式を活用することで、より柔軟な承継設計が可能になります。
種類株式の設計例:
1. 無議決権配当優先株式の活用
【発行済株式の構成】 普通株式:1,000株(議決権あり)→ 後継者 優先株式:1,000株(議決権なし、配当1.5倍)→ 他の相続人
メリット:
- 経営権は後継者に集中
- 他の相続人も配当で恩恵
- 財産的価値の公平性
2. 拒否権付株式(黄金株)の活用
- 特定事項(合併、定款変更等)に拒否権
- 1株でも強力な権限
- 先代経営者が保有し、経営を監督
3. 取得条項付株式
- 一定の事由で会社が取得可能
- 株式の分散防止に有効
- 相続人の属性により取得
導入の手続き:
- 定款変更(株主総会特別決議)
- 種類株式の内容決定
- 既存株式からの転換または新規発行
- 登記手続き
信託や持株会社スキームの構築
より高度な手法として、信託や持株会社を活用する方法もあります。
株式信託の活用:
【信託スキーム】 委託者(先代) → 受託者(信託会社等) → 受益者(後継者) 株式を信託 配当等の経済的利益 議決権行使の指図権は後継者に付与
メリット:
- 議決権と経済的利益の分離
- 柔軟な承継時期の設定
- 後継者の経営能力を見極められる
持株会社スキームの詳細:
基本構造:
- 持株会社を設立
- 株式移転により事業会社を子会社化
- 持株会社株式を後継者に承継
活用例:
小売業F社グループ(3社)では、持株会社を設立し、グループを再編。持株会社株式を後継者に集中させ、他の相続人には持株会社からの配当で対応。経営の一体性を保ちながら、相続対策も実現。
メリット:
- グループ経営の効率化
- 事業再編の容易化
- 相続財産の集約
デメリット:
- 設立・運営コスト
- 組織再編税制への対応
- 管理の複雑化
これらの手法は、企業規模や家族構成により最適解が異なるため、専門家と十分に検討することが必要です。
成功事例に学ぶ事業承継のポイント
理論だけでなく、実際の成功事例から学ぶことで、より実践的な知識が身につきます。
事例1:段階的な株価引下げで相続税ゼロを実現
企業概要:
- 業種:精密機器製造業
- 年商:15億円
- 従業員:80名
- 当初の株式評価額:10億円
課題:
- 後継者(長男)の相続税負担が約3億円と試算
- 会社の現預金は運転資金で精一杯
- 銀行借入も限界に近い
実施した対策(3年計画):
1年目:役員退職金の支給
- 創業者への退職金3億円を支給
- 功績倍率法により税務上も適正と判断
- 株式評価額:10億円→7億円
2年目:不良資産の整理
- 回収困難な売掛金1億円を貸倒処理
- 遊休不動産を1億円の損失で売却
- 株式評価額:7億円→4.5億円
3年目:事業承継税制の活用
- 特例承継計画を提出
- 認定経営革新等支援機関のサポート
- 株式評価額:4.5億円(全額納税猶予)
結果:
- 後継者の相続税負担:実質ゼロ
- 従業員の雇用維持
- 事業は順調に推移(5年で売上20%増)
成功のポイント:
- 早期(相続の3年前)からの計画的な対策
- 複数の手法を組み合わせた総合的アプローチ
- 専門家チーム(税理士、中小企業診断士)の活用
事例2:種類株式で兄弟間の公平を実現
企業概要:
- 業種:建設業
- 年商:8億円
- 従業員:40名
- 株式評価額:3億円
家族構成と課題:
- 長男:後継者として会社で勤務
- 次男:大手企業勤務、経営に関心なし
- 課題:次男も相続権があり、株式分散のリスク
実施した対策:
種類株式の導入:
普通株式:700株(議決権あり)
優先株式:300株(議決権なし、配当優先)
普通株式:1株あたり1,000円
優先株式:1株あたり1,500円(1.5倍)
相続時の配分:
- 長男:普通株式700株(経営権確保)
- 次男:優先株式300株(配当重視)
結果:
- 長男が安定的に経営権を保持(議決権100%)
- 次男も配当により経済的メリットを享受
- 兄弟間の争いを回避
その後の展開:
- 5年後、会社業績向上により配当増額
- 次男の理解も深まり、円満な関係継続
- 将来は優先株式の買取も検討
実務から見えてくる成功の共通点
多くの成功事例を分析すると、以下の共通点が浮かび上がります。
1. 早期着手の重要性
- 最低でも3年前、理想は5年前から準備
- 株価引下げには時間が必要
- 後継者育成も並行して実施
2. 専門家チームの活用
- 税理士:税務対策の中心
- 弁護士:法的スキームの構築
- 中小企業診断士:事業計画の策定
- 金融機関:資金調達のサポート
3. 家族の合意形成
- オープンなコミュニケーション
- 各相続人の希望を尊重
- 経済的な公平性への配慮
4. 従業員への配慮
- 早めの後継者発表
- 経営方針の継続性を明示
- 雇用の安定を約束
5. 取引先・金融機関との調整
- 事業承継計画の説明
- 信用維持のための対策
- 個人保証の計画的な解消
失敗事例から学ぶ教訓:
- 対策の先送り → 選択肢が限定される
- 節税のみを重視 → 事業に悪影響
- コミュニケーション不足 → 家族間対立
- 専門家の不活用 → 不適切なスキーム
まとめ
会社経営者の相続は、個人の相続とは異なる複雑な課題に直面します。自社株式の高額評価による相続税負担、経営権の維持、個人保証の承継など、事業の存続に関わる重要な問題ばかりです。しかし、適切な対策により、これらの課題は解決可能です。
重要なのは、早期の着手と総合的な視点です。株価引下げ対策、事業承継税制の活用、種類株式の導入など、様々な手法を組み合わせることで、相続税負担を軽減しつつ経営権を維持できます。特に、事業承継税制の特例措置は2027年12月までの時限措置のため、早めの検討が必要です。
事業承継は、税務だけでなく、法務、財務、そして何より人の問題です。後継者の育成、従業員の理解、取引先との関係維持など、多面的な配慮が求められます。成功事例に共通するのは、3~5年の準備期間、専門家チームの活用、そして家族・従業員・取引先とのコミュニケーションです。
創業者が築いた会社を次世代に引き継ぐことは、単なる財産の承継ではありません。雇用を守り、取引先との信頼関係を維持し、地域社会に貢献し続けること。それが真の事業承継です。税理士、弁護士、中小企業診断士などの専門家チームと連携し、会社の永続的な発展を見据えた承継計画を立てることが、成功への道筋となるでしょう。